悪化(嘘)

本当は勉強が嫌になっているのだと思う。

 

熱なんかない。内科に行ったってどこか悪いところが見つかるはずなんてない。症状自体は本当に軽いかもしれない。腹が痛いのはただの便秘なのかもしれない。頭が痛いのは気のせいなのかもしれない。気持ちが悪いのは現実が辛いのからかもしれない。現実が辛いのは自分の所業がもともとの原因なのかもしれない。至って健康なのだ。頭がおかしいわけでもなく、元気なのだ。

 

じゃあ一体なんで休んでいるんだろうと思うとすごく自分はダメな人間な気がしてきて余計に死にたくなる。

 

自分で自分に嘘をついてその嘘が本当だと思い込んでることに気づいていない自分がいた。嘘が本当思っていた。空虚な事実だ。

 

課題をやっていなくて怒られるかも、テストの点数が悪くて惨めな思いをしたくない、テストがわからなくてみんなの話に混ざりたくない、授業で当てられてわからなくて恥ずかしい思いをしたくない。過去の栄光にすがり、自分はやればできると思い込み、自分ができないのはやってないからであってやればできる。まだ時間はあると思い、遊んでばかりであっという間に数年が経った。遊んでいたからできないのだと、遊んでたという事実にさえすがっていたかもしれない。

 

確かに昔はよくできた小学生だった。

学校が楽しくてテストをやれば満点で、コンプレックスなんて微塵もない元気で明るい委員長だった。友達もいた。ただ少し異性と話すのが苦手なごく普通の女の子であった。

 

嘘が嘘を呼び塗り重ね自分でも何が本当なのかわかんなくなるくらい嘘をついた。

嘘を本当にするために自分は頭がおかしいんじゃないかと夜な夜なネットで調べ、セルフチェックをして危険値とでたら安心し、やっぱり自分は頭がおかしかったんだ。自分のせいじゃないんだ。病気のせいなんだ。

 

こう思えたら幾ばくか気持ちが落ち着いた。治療を受けたら治るし、きっと今より良くなるだろう。

 

しかし現実は違う。「周りに話してもそんなのよくあることだ。」「みんなそういう時期もある。」「考えすぎ」

じゃあ、私のこれは一体なんなのか??

答えは嘘である。

全部が嘘ではないかもしれない、確かに気持ち悪くなったしお腹も痛くなったし、辛かった。

でもオーバーだったのではないか?

 

自分を疑う自分も、自分に尋問をかけられている今まで本当に具合が悪いと思っていた自分も、尋問をかけねばならない自分も、みんな可哀想だ。悲しそうだ。

 

嫌なことから逃げてばかりいた結果がこれなのかな。

テスト課題友人関係学校…

 

これくらいネガティブになる時にひょっこり本当の自分が顔を出してこう言う

「私ができてないのは私がやることをやっていないからじゃない。体長が悪いのは睡眠不足で夜遅くまでスマフォを触っているからじゃない。お腹が痛いのはリズムの崩れによる便秘だからじゃない。 楽譜が数年前で止まっているのも私がやってないからじゃない。コツコツと頑張る友人と遊んでばかりいる自分との差を認めるのが辛く、現実から目をそらし、幻想を抱き、逃げ続けた結果がこれじゃないの。一生懸命やりたい打ち込みたいと思っていた趣味も本当は現実逃避の一種なんじゃないの?」

 

辛い。自分が他で頑張っていたものを評価してもらえないのは辛い。もう私は勉強では頑張れない。頑張っても褒めてもらえない。辛い。

いつも勉強のことで苦しめられている。学歴が頭の中を駆け巡ってハンマーで私の自尊心を叩く。

勉強が嫌だ。辛い。自尊心がボロボロで自分を支えてくれなくなってしまう。

大きく開いた自尊心の穴を私は今まで他のもので頑張って埋めていた。それは趣味だったり思い出だったり、学校以外でのことだったり。しかし受験を前にすると学力以外のものは全てゴミと化す。自尊心は学力を求め始める。埋まっていたものは消えて穴が広がり苦しい気持ちになる。

嫌だ。

 

こうして今学校に行けなくなっているのかもしれない。ここまで書いていたら頑張って働いている親に申し訳なくなってきたので本当に速やかに死にたい。人間は楽な方に簡単に流れてしまう。もし流れて流れてニートや引きこもりになったとしてもきっと親は私をいくらか怒った後何も言わずに養ってくれるだろう。ダメな娘でも優しくしてくれるだろうと思ったら本当に死にたくなった。

 

そこで、このままではダメになってしまう!なんとか自分を立て直さなきゃ!と賢く頼り甲斐のある私が立ち上がる。

 

まず自分の中で最も深くコンプレックスになり辛い痛みの原因となっているのは勉強ができないという意識だと探し当てる。表面の自分ではもはやコンプレックスになっていることに気づいていない。潜在意識の下である。

 

そして勉強ができなくてもいい理由を探す。

「女の子は勉強だけじゃない」「勉強だけが人生じゃない」

適度に集め自分を安心させた。勉強なんてできなくてもいいという安心感が生まれストレスが和らぐ。

 

そしてその後に高ストレス環境下でストレスを浴びる時間を減らし、行かなくてもいい理由を作った。それが上記にあげたことだろう。

そして立派な頻繁お休み人間になってしまった。私の戦略は大成功をおさめた。

 

そしてよく早退し、休む、元気な時は学校にこれる、不登校者ではないけど普通の子

ポジションを獲得しつつある。なんて都合のいいポジションなんだろうか。母親からは体調管理や、優しくしてもらうなどしてもらい、友には心配してもらい先生からは優しくしてもらい尊重され、まるで天国である。

 

休みたくても休まず辛いストレス環境下にあり、友人からは適当に扱われ先生からは気にもかけてもらえない地味な生徒だった時と比べると扱いが全く違う。幼少期に色々な大人に目をかけてもらい優しくしてもらい尊重してもらえていたことを思い出す。

大変居心地が良い。嬉しい誤算だ。凍えそうだった自尊心息を吹き返す。

 

ああ、やっぱり自分は悪くない、尊重され優しくされるべき存在なんだ。と思い納得する

 

 

こんなにんげんが社会に出て頑張っていけるはずないよね。

頭のなかで不登校になったら社会人になった後に絶対に潰れるという言葉がぐるぐる回っていてもう潰れてしまってもいいかもしれないなと思っている自分のゴミ具合に悲しくなった。

 

正直今の自分には何も頑張れる気がしない。何かを目標にして頑張れる気がしない。何を目標にして何にすがりどうやって生きていけばいいのかわからなくなっている。

 

考えすぎなのかな、誰かに教えて欲しい。

 

 

 

きっとこの記事を書いている自分は学歴や勉強に執着しまた失うのが怖く呪われてる自分なんだろうなと、賢くて頼りになる自分は思う。

 

基本的にコンプレックスというのは持たざるものが持つものをみて抱くものだ。そしてその人の中で育ち、時には深く根を張り苦しめる。

わたしはそれを顔で身をもって体験している。幸いなことに学歴に関してはある程度持っていた。学歴と言う名の印籠は所々で力を発揮する。持ってる時は便利なものだな程度、(例えば切符を買わずにスイカでピッとかざすだけで改札を通れるのは便利だなと同じぐらい)にしか思わずさほど気にしないものの、その印篭がなかったせいで苦労し人を妬み苦しむ人をテレビや人づてに知ってしまうと途端に黄金に輝く水戸黄門並みの印籠に見えてしまい失うのが怖くなった。

 

でもその印篭がなくてもやっていけてる人を見るとそんなに苦労をしなくていいんだなと思う。そう、それを知ってるからこそ印篭を持つか持たないべきかで迷う。印篭は持つべき派の周りと持たなくてもいい派の自分との認識の差に頭がおかしくなりそうになる。

本当は印篭の所持なぞ関係なく上手くやれる人はやれ出来ない人は出来ないって話。ただ出来ない人ができる可能性を増やすために印篭の所持という手段もあるよね?でもそれが全てじゃないでしょ?

こういうことだ。いつだって世間の基準は曖昧でよくわからない。漠然として掴めない。

 

 

話が逸れたが、 呪われてる原因はやっぱり環境なのだと思う。勉強するのが当たり前なところに学力をつけようと思っていない人間がいてはいけないのだ。

辛いよ。やっぱり結論は早く卒業したいに行き着くよね。

頑張れ、卒業資格を取るんだ。

 

追記:朝起きてめちゃくちゃ気持ち悪かったし普通にお腹も痛かったし全然嘘じゃないです

夜中にブログ更新するのやめたい