将来

これから先いくつも幸せだと感じるイベントが待ち受けていると思います。

大学合格、卒業、就職、昇進、その中で彼氏ができたり結婚したり子供ができたりあるいは彼女ができたりすることもあるかもしれません。

 

でもその幸せなことの間に辛いことや悩ましいこと苦しいこと死にたいことも山のようにあると思うと死にたくなってきます。

幸せなことも半年も過ぎれば慣れて忘れかけてしまうということも考えるとさらに死にたい。

なんで慣れるんでしょうか、人間は愚かだと思います。

 

そして、いつどこでだれとくらしどれだけ豊かな生活をしていたとしても人生悩みは尽きないということを知って絶望しました。

自分の持つ良いことには目が行かず、無い物ねだりをして自分を苦しめてしまったり、行き詰まって悩むことはいくつになってもあるんですね。死にたい。

 

幸せは結局のところそういったイベントがあるからではなく、自分が感じるもので、それは多くは人との繋がりの中で感じるものだと書いてありました。

無愛想なのにそんな人との繋がりを維持するのは無理

きつい。

 

世の中には曖昧な常識や暗黙のルールのようなものがあると私は感じています。

それが特にきつい。例えば友達が多い人の方がすごい、結婚してる人の方がすごい、美しい人の方がすごい…など

すごいだけで終われば良いのですが、この価値観のせいで人と比べて劣等感を抱いてしまうのが厄介なのです。

すごく見えるのは表面上だけで彼らは不幸せだと感じている可能性も大いにありますが、どうしてもその上っ面が欲しくてたまらないのです。それを得た先にある羨望の眼差しや尊敬、周囲との良い意味での差が自分を今、最高に生きていると思わせるのです。カーストの頂点に立つと形容すればいいのでしょうか、私は常にそれを望んでいます。

誰が見ても完璧で憧れの的、そうなれたらきっと私はいつでも幸せだと思います。たぶんガッキーか堀北真希ぐらいじゃないと到底なれるはずもないです。

そしてそんなに完璧な人なんているわけじゃないと頭ではわかっていても納得しきれない自分がいます。完璧だろうとなんだろうと必ず自分を批判したり嫌ったりする人がいることもわかっています。

 

ですがやはり多くの人から好かれている方が幸せだと思うのです。人から好かれら要素が多い方がきっと楽しくコミュニケーションをとれる、尊敬できる点が多いから大切に扱われるのではないかと思っています。きっと今失っている自信もつくでしょう。

 

もしかしたら、私は整形願望やら、自分を高める努力をしたいとは思っているわけではなくて、ありのままの自分を尊敬してもらい、多くの人から愛され大切にされたいと思っているのでしょう。

 

 

結局のところ原因は外面に見合わないわがままなお姫様のような幼稚な性格のせいですね。

いつまでも中心でナンバーワンで輝いていたい。みんなから構ってもらって褒め称えてもらえてればきっと勉強ができなくても容姿が悪くてどんくさくてもきっと自信を持って毎日楽しく生きていくことができたと思います。

 

本当にどこまでも生きづらい。

人からの評価がないと生きている実感がしない。怒られたりするのなんて言語道断です。これから先生きていける自信がない。

せめて鈍感だったらよかったのに人の表情や声のトーン、場の空気などを本当に敏感に見て取れてしまうので自分に向けられる軽蔑やら見下し、嫌悪、同情と常に格闘しなければならない自分が本当に嫌。

 

自分は自分のままでいい、誰に好かれても嫌われても理解してもらえる人が一人でもいればいいと開き直れればよかった。人と比べさえしなければいい

でもこればっかりは歳を重ねないことには納得できないのではないでしょうか…

やはり心のどこかで人に賞賛され尊敬されることが生きがいの私めにはあの世間の基準をクリアしなければいけないといつまでたってもとらわれています。しかしその基準をクリアできるほどの精神力を持ち合わせていないため絶対にクリアできません。

 

 なんと悲しいことか、

こうして考えてみると幸せとはきっと相反するところに自分はいるのでしょうね

このままだと引きこもりまっしぐらです